「とんこ節」を口ずさむ、
魚の行商から始まりました。
01
宗像・鐘崎から
始まった魚屋
とんこ節のおいちゃん。
とんこやの物語は、1950年、宗像・鐘崎で始まりました。
初代・魚住重蔵は、鐘崎で仕入れた魚を手に、地域を行商して回っていました。
浪曲が好きだった重蔵が、魚を売り歩きながら口ずさんでいたのが「とんこ節」。
いつしか地域の方々から「とんこ節のおいちゃん」と呼ばれるようになり、その呼び名が屋号「とんこや」の由来となりました。
鮮度のよい魚を届け、お客様から喜んでいただく。
時代が変わり、事業の形が変わっても、この原点は現在まで受け継がれています。
02
魚屋の誇りを胸に、
居酒屋へ
45歳での、新たな挑戦。
二代目・魚住俊彦が家業を受け継いだ頃、町の魚屋を取り巻く環境は大きく変わり始めていました。
スーパーマーケットの進出などにより、従来の魚屋という業態だけでは、事業を継続していくことが難しくなっていきます。
それでも、魚屋として培った目利きと技術を、次の世代へ残したい。
玄界灘でとれた新鮮な魚を、もっと多くの人に、より身近に味わっていただきたい。
その想いから、魚屋と並行して居酒屋を始めました。
2000年、「とんこや宗像店」を開店。
45歳での、新たな挑戦でした。
掲げたのは、新鮮で美味しい魚を、どこよりも身近に。
魚を販売する場所から、魚をその場で味わい、喜びを分かち合える場所へ。
魚屋としての強みを生かした居酒屋への転換が、とんこやの新しい歴史を切り開きました。
03
地域に愛される店から、
個性ある店づくりへ
地域密着のお店として
魚屋ならではの新鮮な魚と、温かなおもてなしを大切にしながら、家族三世代で利用していただける地域密着のお店として歩み始めたとんこや。
福岡市の「とんこや今泉店」、藁焼きを取り入れた「魚屋三代目 鯔背」、大切な人を連れていきたくなる店を目指した「にしの鯔背」へと展開。
同じ料理や空間を増やすのではなく、それぞれの地域や利用シーンに合わせ、店舗ごとに異なる魅力を磨いてきました。
共通しているのは、魚屋としての目利きと、「美味しかった。また来るね」という言葉をいただくために、料理と接客の両方を追求する姿勢です。
04 原点である魚屋へ
飲食事業を展開するなかで迎えた、新型コロナウイルスによる環境の変化。
外食の機会が減る一方で、「家庭でも美味しい魚を味わいたい」という声が高まりました。
その声に応えるため、テイクアウト商品の開発や百貨店などでの催事販売に挑戦。
さらに2022年、鮮魚・刺身・寿司・海鮮丼・惣菜などを扱う「Tonkoya FISH MARKET」を開店しました。
飲食店として積み重ねてきた調理技術と、魚屋として受け継いできた目利きを組み合わせた、新しい形の鮮魚店です。
居酒屋へと事業を転換してから約20年。
とんこやは再び、原点である魚屋へ帰ってきました。
05
三代目へ、
そしてその先へ
現在、とんこやでは、二代目から三代目へ、次の時代に向けた挑戦が始まっています。
受け継ぐものは、単なる店舗や料理ではありません。
魚を見極める目。
お客様に正直な商い。
周囲の人への感謝。
仲間とともに、目標へ向かう姿勢。
そして、失敗を恐れず、新しいことへ挑戦する心です。
長く続いてきた歴史を守るために、変わり続ける。
とんこやはこれからも、一店舗一店舗を大切に育てながら、福岡からさらに多くの地域へ、魚の魅力と食の感動を届けていきます。
魚屋から、
居酒屋へ。
そして、
もう一度魚屋へ。
事業の形は変わっても、私たちの根にある想いは変わりません。
良い魚を届けること。
人に喜んでいただくこと。
いただいた「ありがとう」を、次の誰かへつなぐこと。
三代にわたって受け継いできた想いを胸に、とんこやの物語はこれからも続きます。